呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

(2)

7月13日のすぐ前の週にも、先生と会いました。

私が書いた琉歌の原稿を、最初に先生の自宅で見せた時のことです。

原稿を見せた後、二人でごはんを食べている途中、私は、言いました。

 

「でもさ、琉歌のあの総評さ、私が書いてます、って名前出せるんだったら、もっと書けるのになー」

 

それを聞いた先生が、ムッとしました。

そして私は、そのとき先生が何を思ったかということ、そして、先生勘違いしてるんだなあっていうことが、すぐに分かりました。

だから笑って言いました。

「違う。何で私がそう言ってるか、教える?」

「・・・・・・」

「うちなんかの、れいちゃんいるでしょ?」

私は、5歳の次女の名前を出しました。

「れいちゃんさ、よく、言うことに修飾語みたいなのがついてるわけ。

おにぎり食べたときは『ママ―、このおにぎり、おいしーい!れいちゃん、このおにぎり、あと1000こ、たべられるくらいおいしーい』って言ったりとか。

タコライス食べたときは『ママ―、これ、からいー。もうれいちゃん、このイスのせもたれがなかったら、うしろにひっくりかえっているくらい、からいよー』って言ったりとか。

そんなだわけ。

でさ、この前、七夕があったさ?でさ、れいちゃんの幼稚園にも、七夕の笹の葉に、子どもたちが自分のお願い事書いた短冊が飾られてたから、れいちゃんが書いたのどこかなーって、探したわけ。

そしたらさ、れいちゃんが書いたやつ、見つかってからにさ。

でさ、それにさ、『つよくなれますように』ってだけ、書いてたわけ。

でさ、私、最初『鬼滅の刃』の影響かなーって思ったんだけど、れいちゃんに、『つよくなれますように』って何ねー?って、聞いたわけさ。

そしたられいちゃんがさ・・・・。

 

「ほんとうは、『じゃんけんがつよくなれますように』ってかきたかったんだけど、『じゃんけんが』は入らなかったから、『つよくなれますように』ってだけかいた」って言いよったわけ。

 私、これ、ちょっとすごいなーって思ってからにさ。

 

本人は何も考えないで『じゃんけんがー』のとこ入らないと思ってカットしただけだったかもしれんけどさ、

『じゃんけんがー』は、入れないほうが、いいさ?

『じゃんけんがつよくなれますように』って全部書いたら、子どもらしいなー、かわいいなーって、それはそれでいいかもしれないけど、

『つよくなれますように』だけにしたら、いろんな想像がふくらむさ?

何が『つよくなれますように』なの?とか。なんで?とか。普段から、背伸びしたがりの子なのかな?とか。

 

でさ、私、琉歌も同じことでしょ、って思うわけ。

余計なとこなくして、 読む人の想像がふくらむっていう。

 

でもさ、先生の名前出して書くとしたら、こんなこと書けないさ?

だから、そういう意味で、私の名前出して書いたら、こんな内容、書けるのになー、って」

 

 

この話を聞いていたときの先生は、「つよくなれますように」の最初のくだりのところで、もう、すでに笑っていた。

 その後のつづきの部分を聞く前から笑っていた。