呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

「青い車」(2)

彼は、名をKくんといった。
頭が良く、努力家。

私は中学・高校通して計4~5回くらい彼と同じクラスになったように記憶しているが、彼は中学生の頃から、同級生とは思えないほどの様々な知識に話しやすいキャラクターを持つ、個人的に印象に残る人だった。
彼の話は、なかなかいつも面白かった。
「小学生のとき、ちょっと三線やっていたんだけど。ある日の夕方、アパートの部屋で三線を弾いていたら、隣の部屋に住んでいるおじさんが急に入ってきて『チンダミずれてるよ!』って言ってチンダミ直して出ていったってばー」
というような小さな話から、
沖縄県知事ってさ、保守と革新がずっと交代を繰り返してる、みたいな感じなんだよ」
というような、その数年のちの私が初めて知ることになるような社会のこと、
「『反旗を翻す』って言葉があるでしょ。自分、あれ、『反旗』っていうのが物理的な『旗の反対側』のことだと思ってて、『反旗を翻しても結局表になるだけなんだけどな』って勘違いしていたんだよ」と笑って話されたときには、私にはその話の内容がちんぷんかんぷんだったりした(私が「反旗を翻す」という表現の意味自体を正確に知らなかったから)ものだが、
彼が披露する話題の新鮮さのようなものに、私はその都度小さく感動していたような気がする。

そして彼と話をしているうちに、あれは中学終わりの頃だったか、彼には将来目指しているものがあり、そのため東京の大学へ行くことを希望しているということを知った。

そして高校卒業後、彼は実際に志望していた東京の大学に行き、

その後、気づけば私と彼の交流はなくなっていた。

 

そして、

交流の途絶えた彼の「その後」を私が知ったのが、私自身が大学を卒業してからさらに後。

あれは、私が社会人になって10年以上が経った頃のことだ。

ある日の朝、何気なくその日の新聞に目を通していると、紙面に彼の名前を発見した。

彼は、顔写真付きであるコラムを書いていた。

そのコラムの署名とともに載っていた彼の職業上の肩書きに、とても嬉しい気持ちになったことを今でもよく覚えている。

「彼、あの頃の目標に近いこと、今仕事にして頑張っているんだなー」と。

 

「青い車」(1)

私が今、乗ってる車は、ボディが水色。

先月、(車の乗り換えのために)その水色の車を今月末に手放すということが決まったのだけれども、手放すことが決まったときから、気づけば思い出している。

それは、数年前にこの水色の車を購入する際、車のボディカラーを選ぶことのみに結構な時間を要したということで。

そして、最終的に水色を選ぶことの決め手になったちょっとしたきっかけのようなものが存在していたな、ということで。

そしてその選んだ決め手のきっかけというのは、ある一つの歌。

スピッツの「青い車」という歌、なのです。

 

この「青い車」という歌はおそらくスピッツの代表曲の一つ、という私の中での認識なのですが、

うーん、何から書けば伝わりやすいのかがよく分からないのでとりあえず書いてみることにすると、私が高校生の頃、この「青い車」という歌が収録されたスピッツのベストアルバムが発売されまして。

そのベストアルバムの初回限定版を、高校生当時、わりと買ったばかりらしき時期に私に貸してくれたある友達(クラスメイト)がいまして、

で、これ余談になるのかどうか分からないけれども、ということから先に書かせてもらうと、私、その友達が貸してくれたベストアルバム初回限定版をずっとその友達本人に返却せず、20年くらい借りっぱなしで今も持ってる、みたいな感じでして。

でもその友達と今連絡取る機会がない上にその友達が現在どこに住んでいるかも分からない状態だから、たぶん今後もこのアルバム返せない気がしている、という状態でして。

そして、返すあてのないそのアルバムに入っているその歌を、何年にもわたって何度も何度も繰り返し聴き続けているうちに、気づけば自分が乗る車も青い車を選択していた、という説明が一番現状に近くてぴったりとくる、という印象は少しありまして。

 

ということは(という接続詞が適当なのかどうかは分かりませんが)・・・、

 

ここで、これから私が書いてみたいと思うことについて考えてみると、一応、さっき書いた「余談になるかも」という話は、実際には余談にはならなさそうで。

私はこのアルバムの「青い車」という歌を聴くたびにそのアルバムを貸してくれた友達のことを心の片隅でちょっとだけ思い出し、

そしてその「思い出す」という行為がなんとなく心地よくて、気づけば今現在の私の実生活の一部(車の色)までが影響を受けていた、というのがあるかと思いますので、おそらく。

なので、この流れで、ついでにその、私にそのアルバムを貸してくれた友達のことについて今から少し書いてみたいと思います。

 

 

最近のささいな出来事について

「あ、そういえば今月一回もブログ更新してないや・・・」

ということに気づいたので、大したことない話題について、今から以下、書いてみようかな~。

 

・・・というわけで・・・(↓)

 

 

つい先週のこと。

最近2歳になったばかりのうちの三女が今年の4月から無事保育園に入れることが決定したという役場からの通知を受けて、娘が入園する予定の保育園に提出するための書類を記入していた時のことです。

その書類には、娘の現在の家庭での様子ー娘の簡単なプロフィールはじめ、好きな食べ物や現在どの程度おしゃべりするかなどということについて、わりと多くの、保護者が記入しなければならない項目がありました。

そして、その書類の記入をしている途中。

ある記入箇所にきたときに、私の手が止まりました。

その記入箇所というのは、娘の「長所」と「短所」を記入する、という箇所でした。

 

この保育園、うちの長女も次女もお世話になっていて、その2人の入園前にも同じような書類に本人たちの「長所」と「短所」を記入する欄があったのですが、

ハッキリ言って、この欄を書くとき、毎回地味に結構困っていました。

2歳そこそこの子どもの性格上の長所と短所なんてまだはっきり分からないと思うんだが・・・・・ここ、何書くの?

「長所」はまだしも(「よく笑う」とか書けばいいと思うし)、「短所」とは?

しいて書くなら「言うことを聞かないときがある」って感じの内容になると思うのだけど、それって「短所」であってる・・?

それって、「短所」っていうか、「2歳児の日常」・・・じゃん?

でもそれを「短所」欄に書かないとなると、じゃあ「短所=なし」って書く・・?

いや、でも短所「なし」って書くと、それ読んだ保育園の先生方に「ウチの子に悪いところはありません!」とでも言わんばかりのモンペ予備軍と思われちゃうかも・・・?(注:モンペ=モンスターペアレント

 

じゃあやっぱり、「短所=言うことを聞かないー」線でいくか!

それでいい?それでいいの・?

ってか、他の親って、この欄どんなこと書いてるんだろ?

今度聞いてみようっと。

機会があれば・・・・。

 

と、この書類の記入のたんびに(約5年前の長女の保育園入園前から)、私は毎回全く同じことを思ってはみるものの、書類の記入が終わると同時にそのこと自体を忘れ、

結局この「長所」と「短所」の欄の謎について、他の親に聞いてみたことは一度もない。

 

ってことは、ほーんと、大した問題じゃない、っていうことなんでしょうね。

あー。また考えすぎちゃった。

「先生も」

「先生が言っていたんだよ」。

「先生も、同じことを言っていたんだよ」。

 

「先生も」と一言付け足すだけで、少しばかり力を増す、私の言葉。

逆に言うなら、「先生も」の援護がなければ、ほぼ力を持たない、私の言葉。

でも私は、それでいい。

「先生も」をどう増やすか、そのことばかりをよく考える毎日だ。

 

言葉はまだいい。明確だから。

けれども問題は、歌三線のほうで。

先生が語らず伝えた「言葉」を、間違って受け取っていやしないか、勝手に別に変換していやしないか、一応とても気にしながら練習を重ねている。

けれどもやっぱり、しょせんは私、というのはあるわけで。
気を付けようが、当たり前に、不十分さはある。と思われるわけで。

だから、日々、確認作業に追われているのです。

 

確認作業の答え合わせの日々で、新しい「先生も」が突然見つかったり。

自信が持てない感覚に「先生も」が加わることで、少し変わったり。

そういうとき、その度に、うれしい気持ちが起こる。

いつまでも、このままがいいな。と、ね。

 

仕事始めの日の雑談

あっという間に年末年始の長い連休が終わり、今日は新年最初の職場への出勤日、仕事始めの日でした。

今日、出勤してから一番最初に顔を合わせた同じ課の隣の席の子が、「あー、ずっと連休だったら良かったのになー。今日の出勤が憂鬱だったよー」などと笑いながら言うものだから、私も笑って同調し、すぐにその話題は終わった。・・・けれども。

そのあと、私はひそかに思っていた。

「私、今日の出勤、実は結構楽しみにしていたよ」と。

 

育児休暇を経て職場復帰してから迎えた、久しぶりの年明けの仕事始めの日。

幸い仕事が楽しいから、今日の日も楽しみだった。

今、強いて不満をあげるとするならば、この楽しい毎日を「楽しい」という単純な言葉でしか表現できない自分に対してのみ、というくらい(笑)。

それくらい、最近なんだか毎日楽しい。

 

育休よりも、仕事がいいなあ。

育休も、もちろん非常にありがたかったのだけれど。

仕事をしている時のほうが、なんだか元気が出てくるよ。

周りの人と、隣の席の、あなたのおかげだな。

ありがとう。

 

そんなわけで、職場のみなさま、

今年もどうぞよろしくお願いします。

(でも、このブログのことは職場の人には内緒にしていたかったりする・・・笑。)

謹賀新年

皆さま、あけましておめでとうございます。

暇なのでしょうか?新年早々このブログを見てくださるとは・。

けれども嬉しいです。ありがとうございます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

と、このような流れでいくと、このあと続きにくるのは一般的に「新年の抱負」などについて書くことだったりするのでしょうか?

けれど、私としては今のところ、今年の抱負のようなものをこの場で書く予定はありません。

たとえば新年を迎えるにあたり「今までやったことのない、新しいことにチャレンジしたい」などといった希望や抱負などがあればそれは素敵なことなのだろうなとは思うのだけれど、私には、「今年新しくやってみたい」などということの希望の類については今のところ思い浮かばないので。

その代わりに、と言ってはなんですが、新年一回目の今回は逆に、「私が今年(も)、絶対にやらなさそうなこと」について書いてみようかと思います。

 

力強く真面目に言いたいのですが、私がこれまで多分一度もやったことのない上に今後もやらないだろうと思われることが一つあります。

私が絶対にやらない、やっていないと思われること。それは、「勝連先生にお世辞を言うこと」です。

断言します。

この十数年の間、私は先生にお世辞のようなことを言ったり、先生をおだてるような真似をしたことは一度もないし今後もしません。

なぜなら理由は本当に簡単で、要するに、「お世辞を言う理由がない」からです。

 

普段、私がお世辞を言う羽目になる理由やパターンはいくつもあるけれど、よくあるパターンとして、「相手のことがよく分からない上に、分かるために必要な時間も興味もそもそも希望自体もない」というものがある。

たとえばよく知らない相手と話していて「それって何なんだろう?」と疑問に思うことがあったとしても、その疑問を解決するまでに必要なその人と会う時間も確保できなければ、仮に話し合ったとしてもその疑問を解決できるのかという疑問が生じる、というよりそもそもその疑問を解決したいという私自身の欲求が全く起こらないわけなので、結果、お世辞を言ってその場をやりすごすことになる。とりあえず「すごいですね」とか何とか言ったりして。また、興味のない相手にほど、美辞麗句など何とでも言えたりするもので。

けれど、先生には、そういうことを言いたい気持ちが一切起こらない。

知りたいから。知らないから。知らずに「素晴らしい」と言いたくないからだ。

「嫌われないように」ということも、あまり考えない。

それよりも、「知りたい」気持ちが上回ることがほとんどだからだ。

それで先生を怒らせることも全くないとはいえないのだが、私の先生に対する話は、いつもそんな感じであってもなんとか成り立っている。

 

また、私が先生にお世辞を言わないさらなる理由として、そもそも先生にはお世辞が必要ない、というのがある。

先生は世間的に見てたぶん本当に偉い人だから、私がわざわざ嘘を言ってほめる必要がないのだ。

先生をほめる人は私以外にたくさんいる。

また、ほめいない人もいるだろう。先生が、「強さ」を持つ人であるがゆえに、だ。そしてそのことは、先生がお世辞を言われること以上に意味を持つという側面もあるだろう。

いつも思う。

先生が何も持たない人間であれば、私ももっと気を遣って「先生すごい」の一言でも言っていると思うのだけれどね、と。

 「すごいね」「素晴らしいね」なんて、たぶん言えないし、言いたくもない。たとえ独り言であっても、ね。

 

と、新年最初の回は、普段以上に素直な気持ちを書いてみました。

以上、すべてお世辞でした。というオチは無しですよ。

大晦日

晦日はいつも、うれしいような、安心したような、胸いっぱいの、何ともいえない気持ちになる。

今年一年。

怒ったことなんか、もう忘却の彼方。

嬉しかったことも、なんだか結構前のような。

 

ただ、今、この瞬間にあるのは、今年も一年無事に過ごせてよかったという気持ちのみ、のような気がします。

 

先生に、ありがとう。

皆さんに、ありがとう。

来年からもまた、みんなで一緒に仲良く年を取っていきたいです。

こう書くだけで、涙が出そうです。

 

皆さん、お互い良い年を迎えましょう。