彼は、名をKくんといった。
頭が良く、努力家。
私は中学・高校通して計4~5回くらい彼と同じクラスになったように記憶しているが、彼は中学生の頃から、同級生とは思えないほどの様々な知識に話しやすいキャラクターを持つ、個人的に印象に残る人だった。
彼の話は、なかなかいつも面白かった。
「小学生のとき、ちょっと三線やっていたんだけど。ある日の夕方、アパートの部屋で三線を弾いていたら、隣の部屋に住んでいるおじさんが急に入ってきて『チンダミずれてるよ!』って言ってチンダミ直して出ていったってばー」
というような小さな話から、
「沖縄県知事ってさ、保守と革新がずっと交代を繰り返してる、みたいな感じなんだよ」
というような、その数年のちの私が初めて知ることになるような社会のこと、
「『反旗を翻す』って言葉があるでしょ。自分、あれ、『反旗』っていうのが物理的な『旗の反対側』のことだと思ってて、『反旗を翻しても結局表になるだけなんだけどな』って勘違いしていたんだよ」と笑って話されたときには、私にはその話の内容がちんぷんかんぷんだったりした(私が「反旗を翻す」という表現の意味自体を正確に知らなかったから)ものだが、
彼が披露する話題の新鮮さのようなものに、私はその都度小さく感動していたような気がする。
そして彼と話をしているうちに、あれは中学終わりの頃だったか、彼には将来目指しているものがあり、そのため東京の大学へ行くことを希望しているということを知った。
そして高校卒業後、彼は実際に志望していた東京の大学に行き、
その後、気づけば私と彼の交流はなくなっていた。
そして、
交流の途絶えた彼の「その後」を私が知ったのが、私自身が大学を卒業してからさらに後。
あれは、私が社会人になって10年以上が経った頃のことだ。
ある日の朝、何気なくその日の新聞に目を通していると、紙面に彼の名前を発見した。
彼は、顔写真付きであるコラムを書いていた。
そのコラムの署名とともに載っていた彼の職業上の肩書きに、とても嬉しい気持ちになったことを今でもよく覚えている。
「彼、あの頃の目標に近いこと、今仕事にして頑張っているんだなー」と。