呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

豊年祭

この間の日曜日の夜、名護の豊年祭をみっつ、はしごして観に行ったら、
(宮里地区、屋部地区、数久田地区の)
みているうちに3つほど、浮かんできたことがあった。
ひとつは、ちょうど今読んでいる最中の、岡本太郎の「沖縄文化論」。
もうひとつは、目の前のものとは違う、別の豊年祭のこと。
そしてさらにもうひとつは、勝連先生作の「やんばる峠」という詩のこと。



岡本太郎の「沖縄文化論」は、外から足を踏み入れてみたという部分が同じ、という意味で。
始まってからいくらか時間が経過していた会場の中に入り、舞台の上の踊り手を目にしたとき、私は、舞台を見ている人たちも含めてすべてが私を「外」にしていると感じた。
地域の歌で最高に盛り上がり、あたたかい拍手が何度も起こり、笑顔を見せる人々。
ああ、せめて、目にしたときの気持ちをもっと、表現したいのだけど。
その本と私はあくまで、外から来てその中に足を踏み入れたと、いう部分だけが同じ。
それだけ。だから、「もどかしい」、も、おこがましいだけ。



「別の」というのは、私の記憶の中にだけ、という意味で。
母の出身、名護の喜瀬区の、小さい頃に何度も見た豊年祭。
記憶の中のおじさんの二才踊りが、目の前の「下り口説」の踊り手に重なって。
そしてまた「あんたのおじさんは、豊年祭でみんなに踊りを教えるのが好きだったさあ」と、ずいぶんあとになって教えてくれた親戚のおばさんの言葉がよみがえって。
もうどれも、そんなに懐かしい話になるんだなあと、
思いながら、隣のNさんを見ると、「ひさしぶり」と、遠くから声が聞こえたような気がした。



「やんばる峠」の先生の詩は、生まれた理由が初めて伝わってきた、という意味で。
以前その詩を読んだとき、「先生にしてはえらく限定的」とだけ抱いた感想は、今回変わった。
強く気持ちを動かされて、どうしようもなく、言いたい、伝えたいと思ったときに生まれる。
気づいたのは、同じように感じるそんな場面を目にしたから、なのか。


でもこれもまだ、先生のようにできないもどかしさ。




『やんばる峠』

 高速を走り
 山裾の道に下り
 カヌチャ浜のホテルで
 フィルムを買い
 汀間当の碑の前で
 写真を撮り
 道々の岐路に立つ
 「琉楽コンサート会場へ」の
 立看板を目にしながら
 ぼくらは
 その場所へ向かった

 (以下省略。続きは、「勝連繁雄詩集/2008年・脈発行所」へ)