呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

「こてい節」の歌碑を見て(3)

琉歌に対する知識も何もかもがゼロの状態なのは「第一段階」だ。
この段階にいる場合、数々の琉歌に触れるたび、その意味を知るたびに新鮮に感じる。だから、どんな歌の訳文も違和感なく受け入れることができる。真っさらな状態だ。

ある程度、有名な歌の意味を一通り耳にしたことがあるのなら、「第二段階」。
この段階にいると、ある一定の歌に対する知識がある。だからその分、自身が耳にしたことのある意訳から外れた訳に触れたときに「それは変だ」と感じたりする。少し知っているがゆえに、他の訳を受け入れる余裕に欠けることも時々ある。

そして、それからさらにレベルが上がると「第三段階」。
「第三段階」は、様々な歌の意味はもちろんほとんどの歌の意味を耳にしたことがあるのに加え、ひとつの歌に対して様々な訳のパターンがあることを知っている。つまり、琉歌については何でも知っている、という具合なので、どんな意味の訳をもまた受け入れることができる。
この私なりの分類に当てはめるとするならば、あの歌碑めぐりに行った日、私を含め、メンバー三人ともが「第二段階」。そして先生は「第三段階」。
その段階にいるからこそ、私たちはあの日あの訳文を見て笑ったし、先生は笑いも驚きもしなかった。
「好き」とされても「大好き」と言われても、それはどちらが良くてどちらが変だという話ではない。
すべての歌に、その歌を目にする人の分だけ訳が、意味がある。それを受け入れられるだけの知識の広さと深い意味の裏付けが、先生の基盤になっているのだ。



「わした若者や 花ど好ちゅる」。
美童が「好き」ではなく「大好き」なんていうあの歌の訳を、私はそれまで一度も耳にしたことがなかった。
ひとつの訳にとらわれて、それから外れた訳に触れたがゆえに笑う。
あのときの先生の反応を目にした今なら分かる。それがいかに「まだまだ」である証拠なのかということが。
先生によると、「その訳は違うんじゃない?」と思っても、まずはそれを知り、受け入れること。    
そうしていくうちに、琉歌の解釈は本当に人ぞれぞれなのだということを感じるようになり、そうすることでまた、だんだんと自分の世界が広がるようになるという。
そして琉歌の解釈の裏にひそむ背景などまでに考えを及ばせ、それをほとんど全て知った上での(私の言う)「第三段階」からさらに進むと、それから今度は自分なりに一番しっくりくる訳を見つけ出す域に達するらしい。そしてまたそれが時には従来の訳とはまた違う新しい訳だったりすることもあるそうだ。
ということは、つまり。
「第三段階」のさらにその先には、「創造の世界」とでも言うべき「第四段階」のようなものまでが存在するということか。(となると、先生はこの段階?)
そうか。私があの場で笑ってしまったあの出来事は、「第二段階」に甘んじるな。まだまだ先がいくらでもあるのだから、こんな程度で笑ってるんじゃないよという、歌碑からの「警告」だったのか。なるほど・・・。



思うに、この「第一」「第二」段階と、「第三」「第四」段階の間には溝がある。
深い、大きな溝が。
その溝を、どう埋めるべきか。
簡単に埋まりそうもない。あと何年、何十年かかることだろうか、と。
けれども、その溝を埋めるその一歩を踏み出すヒントは、もしかしたら歌碑めぐりにあるのかもしれない。
気付くもよし、反省するもよし。様々なものがそこから見えてくる。
それはともかく、同じ場面で笑う、私たち新聞委員会のメンバー三人といったら!
前述した一連の流れを心の中で思い出すたび、今も笑いが出る、この瞬間も。


・・・・また行きたいなあ、歌碑めぐり。