呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

定期総会にて

おととい(5月5日《日》)開催された、野村流古典音楽保存会の年に一度の定期総会にて。会長である勝連先生があいさつの中で次のようなことを言っていた。
「私たちは何のために三線を続けているのか。自分で自分に問いかけてみることがある」と。




「何のために」。
これから少しする話は、うまくまとまらないかもしれないけれど。






毎週水曜日に先生の教室に行って稽古をし、帰りの車の中で「今日も楽しかったな」と嬉しくなるときに思う。「私は、このために三線を続けているのかもしれないな」と。
それは歌三線が上達したと思ったとき、というよりも。
そのときよりも、稽古の合間、みんなでいろんな話ができたときにそう思う。
話が弾む。教室メンバー全員が、それぞれお互い大事に思っているんだろうな、ということが分かる。そんなとき、三線をやっていて良かったなと思う。




「何のために三線を?」
それは、人と出会って幸せな気持ちになるためだと思う。
先生、先輩方、友達、仲間。三線をしていなければ知り合うこともなかったであろう人がたくさんいる。
そしてまた、そうやって出会えた人と付き合っていくうちに、嬉しい気持ちがどんどん増えていく。
三線を始めてから人生が大きく変わったなと、本当に思う。
不思議だ。三線をしていなければ、私は今、一体どうなっていたんだろう。




続けていられるだけいいじゃないかと思う。こうやって好きな三線を、周りの人と一緒になって、続けられているだけ。
というよりそもそも、この地に生まれて、生きているだけでいいじゃないかと思う。
生きている。その上に、飢えるわけでも孤独でもなく、周りの人に恵まれて。
毎日を過ごせている、それがどんなに幸せなことか。




それなのに
何かに追われたように、いつのまにか競争みたいになって。心が貧しくなっていることはないか。
自分のことばかり。相手のことを考えず、勝手をしていることはないか。
そのための三線じゃない。そうするだけ、つまらない人間だ。
目的はそれじゃない。そんなこと問題じゃない。どうでもいい。くだらない。



なぜ忘れるのか?



そしてまた、そんなときこそ、先生の言葉を思い出す。
「私たちは、何のために三線を?」と。