こんな師匠によく会えたな、と思う。
偉いのに、えらぶることなく、
本当に何でも話せた。
自分自身に起こる日々の出来事は全部、先生と話すきっかけになった。
とにかく、話したかった。
先生と昨年一度、あの琉歌のコーナーの話をしていて、
「コロナは嫌だけど、コロナで稽古がなくなった分、先生といろんな話ができて楽しいな、っていう内容の作品私が作ってみるのは?」と言ってみた。
先生は「バーカ」と笑っていた。
そういえばあれは、先生の弟子になってから、いつ頃のことだっただろう。
先生と話す方法は、声を出して語り合うことだけではないと気付いたのは。
歌三線の練習。
そして、書くこと。
だからこのブログを始めた。
2011年3月7日の、このブログの一番最初の回。
「私は、先生の歌が好きな、先生の一番弟子」って。
あれ最初に読んだ先生、きっと驚いたことだろう。
(えっ?僕の「一番弟子」?)って。
ああ書くのが、一番いいと思った。
ああ書いたら、気持ちがよく伝わると思った。
ああ、あれからもう10年か。
長い間、こんなに長い間、先生と話せたじゃないか、学べたじゃないかという気持ちと、苦しい気持ちが、今、交互に生まれている。
一生涯、先生から学び続けたいと思いはじめた頃から常に、先生の体のことを気にしていた。先生が、全く元気そうであっても常に、だ。
それを考えると、こんなに長く同じ日々を過ごせたことは、幸せじゃないか、と。何度も何度も自分に言い聞かせる。
でも、苦しい。
話したことや、学んだことが、あまりにも多すぎた。
何を見ても、先生のことばかりが思い出される。気持ちの中に、いつも先生がいて。
何かにくよくよ悩んでいるとき、先生が言った。
「人の生き死にに関わること以外は、みんな大したことないんだよ」
言われるたびに、やめてよ先生、って思った。
せっかく私、先生作の詩を読んで「死んでも終わりじゃない」って思っていたのに、と。
でも、先生の言う通りだ。
苦しい。