呉屋日記

勝連繁雄先生の一弟子・平良が、好きなことを好きなようにつづる日記

(3)

こんな師匠によく会えたな、と思う。

 

偉いのに、えらぶることなく、

本当に何でも話せた。

 自分自身に起こる日々の出来事は全部、先生と話すきっかけになった。

とにかく、話したかった。

先生と昨年一度、あの琉歌のコーナーの話をしていて、

「コロナは嫌だけど、コロナで稽古がなくなった分、先生といろんな話ができて楽しいな、っていう内容の作品私が作ってみるのは?」と言ってみた。

先生は「バーカ」と笑っていた。

  

 

そういえばあれは、先生の弟子になってから、いつ頃のことだっただろう。

先生と話す方法は、声を出して語り合うことだけではないと気付いたのは。

三線の練習。

そして、書くこと。

だからこのブログを始めた。

2011年3月7日の、このブログの一番最初の回。

「私は、先生の歌が好きな、先生の一番弟子」って。

あれ最初に読んだ先生、きっと驚いたことだろう。

 

(えっ?僕の「一番弟子」?)って。

 

ああ書くのが、一番いいと思った。

ああ書いたら、気持ちがよく伝わると思った。

ああ、あれからもう10年か。 

 

長い間、こんなに長い間、先生と話せたじゃないか、学べたじゃないかという気持ちと、苦しい気持ちが、今、交互に生まれている。

一生涯、先生から学び続けたいと思いはじめた頃から常に、先生の体のことを気にしていた。先生が、全く元気そうであっても常に、だ。

それを考えると、こんなに長く同じ日々を過ごせたことは、幸せじゃないか、と。何度も何度も自分に言い聞かせる。

でも、苦しい。

話したことや、学んだことが、あまりにも多すぎた。

何を見ても、先生のことばかりが思い出される。気持ちの中に、いつも先生がいて。

 

何かにくよくよ悩んでいるとき、先生が言った。

「人の生き死にに関わること以外は、みんな大したことないんだよ」

 

言われるたびに、やめてよ先生、って思った。

せっかく私、先生作の詩を読んで「死んでも終わりじゃない」って思っていたのに、と。 

でも、先生の言う通りだ。

苦しい。